奥州平泉埋蔵金

黄金の国ジパング

1300年頃、マルコポーロが東洋各国を訪れた印象をピサがまとめた「東方見聞録」には、中国で聞いた話として中国東方沖の洋上に黄金郷があると言う話が出てきます。

この黄金郷の場所には諸説あって中には中南米の古代国家だと言う説までありますが、そこに記されているジパングと言う名称が「にほん」「にっぽん」と共に安土時代ころまで我が国で使われていたとされる「日本」の読み名が「じっぽん」「じつほん」であったと言うが記録に存在することや、そのジッポンが当時の中国では「ジーペン」と発音されていたらしいことから、現在はジパング=日本と言う説が有力です。

ジパングの「グ」は中国語の「圀」の韻と言う説もあってジパング=日本国とそのままの発音になる事から、平安末期に黄金文化を背景に渤海地方から大陸と盛んに交易を行っていた奥州平泉がジパングであると言う説が有力なものの一つとして唱えられています。

ジパングはどこか

但し平安時代の認識では「じつほん」「ニホン」は近畿地方の大和などを中心とした国家であり、当時、奥州藤原氏の治めていた平泉などの母体である旧東北国家は「ひのもと」とよばれていたため、本当のジパングは奥州以外の日本であったと言う説もあります。

ただ、このジパング奥州説の根拠が当時莫大な量の金の産出を背景に栄えた平泉文化の豪華絢爛さが、近畿のみならず渤海地方や中国にも知られていたらしいと言う事情を考えると、平泉=ジパングと言う多少の誤解が中国であったことは容易に想像できることです。

義経ジンギスカン説

奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡までが栄華を極めますが、四代泰衡の時代になって源義経討伐の頼朝の鎌倉幕府軍によって滅ぼされます。

この奥州藤原氏滅亡後に、有名な義経蝦夷脱出伝承などが生まれ、太平洋戦争当時には義経=ジンギスカン説なるものまで登場します。

この説は当時「源義経」と言う字をモンゴル系の(ある)人々に読ませてみたら「チン・ギ・カン」と発音したと言った出典不明の話や、中国東北部や朝鮮北部に八幡神社と思われるものがあったと言うようなかなり主観的な話から出発しているのですが、当時この説を研究した人によるとアイヌ民族に義経・弁慶にまつわる伝承がいくつもあるとか、義経が死んだとされる直後の時期に数千人のアイヌの若者が義経とおぼしき人物に従って樺太に渡ったなどと言う話があったとされています。

このような判官びいきのセンティメンタリズムから悲運の泰衡は実は義経に莫大な黄金を与えて北へ逃がしたとか、あるいは、源氏に攻め込まれる前に藤原氏もしくは義経が埋蔵金を隠したと言う伝承も根強く語られる人気のある話になっています。

黄金都市奥州平泉

平泉文化は金の文化とも言われ、その栄華を支えたと伝えられている金鉱山は大谷(宮城県気仙沼市)、鹿折(宮城県気仙沼市)、玉山(岩手県陸前高田市)、八針(岩手県気仙郡)、今出山(岩手県大船渡市)など広範囲にわたります。

つまり、このような多くの鉱山から産出された莫大な黄金は今なお平泉あたりのどこかに埋蔵されているに違いない…と言う話が奥州藤原氏黄金埋蔵金伝説です。

金鶏山埋蔵金伝説

京都の宇治にある有名な平等院鳳凰堂のコピーとして三代秀衡が平泉に建立した無量光院の西側に金鶏山と言う山がありますが、この山の名前の由来はここに金でできた鶏のオブジェを埋めたと言う伝承にちなむもので、伝説ではこの金鶏山が埋蔵金の有力な隠し場所候補とされているようです。

伝説の金鶏を求めて昭和初期に頂上付近が盗掘された際に、銅製の経典を収める筒や陶器の壺・甕などが掘り出されたためにここは浄土信仰に基ずく納経のための塚ではないかとも言われていますが、麓には藤原三代の位牌や秀衡の木像などが安置されている千手堂のほか、源義経妻子の墓とも伝えられる五輪塔などがあると言う傍証を根拠に、この話は埋蔵金ファンのロマンをいまなお掻き立てています。

超巨額の埋蔵金

ここに埋蔵されているのは、二羽の金鶏(黄金作りの鶏のオブジェ)と「一億両ともされる金塊である」とも言われています。

現在でも想像もできないくらいの巨額な埋蔵金が、平安時代に存在したと言うロマンです。
黄金の都、平泉ならではの伝説でしょう。

ちなみに金鶏山は現在、国の史跡に指定されているため発掘などは出来ないそうですが、平安末期・鎌倉初期と言う、とても古い時代からの伝承であるために、もはやこれはファンタジーであると見なす向きも多いようです。



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