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徳川埋蔵金

徳川埋蔵金とは

徳川埋蔵金と言うと、かつて人気タレントや自称・超能力者と言う怪しげな人物まで動員したテレビ番組で注目されて話題になりました。

番組がどこまで本気だったかはわかりませんが記憶では単発モノではなく、シリーズもしくはレギュラで2クールくらいはやっていたように思います。

埋蔵金を掘り当てると言うのは一攫千金を望む多くの人のロマンです。

「自宅の裏山から財宝を掘り当てることができれば…」などと言う夢想に思いを巡らせたことは誰しも経験があると思います。

世に隠し財法の伝説も数々ありますが、徳川埋蔵金が注目されるのは明治政府がそれを財政資金としてあてにして探していたと言う話があるからです。

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小栗上野介

大政奉還前後の幕府側のキーパーソンと言えば勝 海舟と小栗 忠順(おぐり ただまさ)ですが、このうち勝は(彼一流のブラフかもしれませんが…)幕府の金蔵に相当な資金が眠っていると言うような話を吹聴していたようです。

一方の小栗と言う人は近代日本のあるべき姿を当時もっとも具体的にイメージできた人と思われ、西洋式の軍隊の創設や製鉄所の建設などを発案し、随分と幕府の金を使った人で新政府からは幕府の金庫番であるかのようにみなされていた人物です。

小栗についてはNHKの歴史番組で何度か取り上げられていた内容では勝より幕府内の影響力・信頼はかなり大きく、また人物も相当なものであったようです。

大老の井伊直弼が暗殺された後、林靏梁(はやし かくりょう - 軍学者)によって幕府資金が一部隠匿され、その資金は小栗に託されて幕府最末期の近代化政策の資金とされ、その残金・余剰金が江戸開城時にいずこかに隠されたと言うようなストーリーになっています。

新政府軍に警戒された小栗

小栗が行った軍隊の近代化や製鉄所の建設には莫大な資金が使われたと言う記録が残っているようですし、また、井伊大老政権下で小栗は幕府役人として一応頭角を現していたようですが、実際に幕閣として活躍するのは安政の大獄から一定期間が過ぎてからです。

この辺りをつめて考えて見ると、井伊直助を持ち出しての幕府埋蔵金と小栗を結びつけるのは疑問の残る部分もあります。

小栗が幕府の資金をある程度自身の意思通りに使うことが出来たのは、幕末と言う時代背景と、遠慮なく幕府の金を使うことができたと言う小栗のその性格によるものである…と言う説明でもたぶん破綻はなく、記録に残る範囲でのその人物像からしても、(個人的感想では)彼その人は埋蔵金などとは結びつきません。

当時、情報の少ない時代に新政府側が勝手な類推からそうしたストーリーを作ったと考える方が合理的に思えます。

幕府財産のあてが外れた新政府軍

幕府の莫大な財産をあてにしていた新政府軍が江戸無血開城を果たしたとき江戸城はおろか江戸のどこにも、幕府の財産(御用金)は発見できませんでした。

これが先の井伊・小栗ラインの隠し財宝・埋蔵金の憶測を育んでゆくわけですが、もし実際に幕府の埋蔵金があるとしたらこの井伊・小栗のエピソードとは別ルートである気がします。

実際埋蔵金のようなものを託すとしたら権力のある小栗のような立場(大物)の人物は除外するのでは?というのが、率直な印象です。

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キーパーソンの条件

まず、幕府のキーパーソンは常識的に慶喜以下新政府の処分の対象となります。

罪一等を減じられてそれぞれ結果として死罪は免れたとは言え、慶喜から会津戦争の容保、函館戦争の榎本まで死罪と言う選択がそれぞれに論じられていたと言う状況です。

また、埋蔵金の持ち主、もしくは将来の使用者と考えられる徳川宗家やそれに近い血筋の三家・三卿・連枝など宗家総領を引き継ぐ、または後見するであろう人物の手におえるような人材である必要も考えられます。

幕府再興の資金とする場合でも、少なくとも大義名分としてでも再興者は徳川家の意向をふまえる必要があり、またこの資金の決済に徳川宗家筋の承認を求める必要があると考えられるからです。

林靏梁

井伊大老が安政時期に既に林靏梁を使って準備していたと言うのもやや無理がある話のようですが、御用金隠しと言う役回りとしては林靏梁クラスもしくはそれ以下が妥当とも思われます。

個人的には時代を考えると幕府と言う巨大装置が埋蔵金と言う保険をかけることは十分にありうると思っていますが、世に言われているような埋めると言うような単純な隠し方で、果たしてそういう操作を行こなったかは疑わしいと感じます。

地中埋蔵金があったとしても隠し資産たる資金は分散されているはずですから、全体の三分の一程度、さらにそれが小分けされていると考えるのが自然と思われます。

20兆円と言われる埋蔵金

一説には埋蔵金は20兆円、もっとも妥当とされる見込みで5000億円程度の価値と言われていますが、安全側で5000億円を基準に考えて三分の一の更に小分けとしても、当時の状況でそれを隠すのは大変と思われますが、ここからすると地中から出てくる可能性のあるものは多くて数百億円程度の価値のものではないかと考えています。

これなら何らかの事情で手を付けられることなく眠っているとしてもおかしくないものと思います。

埋蔵の可能性のある場所として取りざたされているのは赤城山を中心としたエリアと言う事になっており、その他にも日光を始めとする上野東照宮、久能山東照宮、日吉東照宮、世良田東照宮など各地の東照宮が言われています。

ただ、小栗や家康ゆかりと結びつける隠し場所は頷けないものがあります。

小栗に結び付けることの不自然さは先に述べましたが、幕末の小栗や勝の幕閣意識はそれ以前のものとは随分異なり、安易に家康に結び付けて、ゆかりの東照宮を持ち出すのはやや時代錯誤のこじつけに思えます。

資金が小分けされていたら一部は駿府や北海道なども可能性のある場所です。

待たれる新資料の発見

日本人は記録魔・メモ魔で未だに古い時代の書付や書状が毎年かなりの量、新たに発見されています。

ふすまを張り替えるときに裏張りの紙を丁寧にめくってみたら、思わぬ重要な歴史資料だったと言うような話もよくあります。

徳川埋蔵金はテレビ番組で取り上げられたようなストーリーを軸にしたものなので現状硬直していますが、全く別の資料が出てきて、そこから江戸城が空っぽだった謎が解ける可能性は大いにあります。

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