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金運・財運の落語

大儲け、タナボタ、思わぬ金運の悲喜こもごも、御神酒徳利、高津の富

御神酒徳利

江戸落語の演目です。

もとは上方の話ですが、上方落語としての型は今はなく、この話に関しては残念ながら上方には「これは」と言う音源も演者もないようです。

江戸の馬喰町、ここに刈豆屋と言う旅籠があって、その日は恒例の年末の大掃除の日です。

善六と言う通い番頭が無造作に置かれた家宝の徳利を見つけますが、こんなところで大事な徳利がなくなったりしてはいけないからあとでちゃんと片付けようと、ひとまず水がめの中にとりあえず仕舞っておいて、また大掃除を続けているうちに、年末の忙しさもあっていつしか徳利のことをすっかり忘れてしまいます。

夕方になって大掃除のあとの恒例の宴会の時間にはなったのですが、権現様より拝領の徳利がなくなったと言う事で、店の旦那は困ってしまい宴会にも出られない、また徳利が見つかったら改めて宴会はするが、今日は悪いがひとまず用意した料理を各自楽しんで帰ってくれと言うことになりました。

善六はすっかり徳利のことを忘れているので他人事のように旦那もお気の毒にと心配しつつ、用意された食事も早々に家に帰ります。

宴会で遅い帰宅のはずの善六が早々と帰ってきたのを不思議に思った女房からいろいろ聞かれて事情を話しているうちに善六は自分が徳利を隠したことをふと思い出して、これは大変なことをしたようだと慌てます。

今更、自分が隠したと言うのは言い出しにくいと、困り果てていると女房が一計を案じます。

善六の女房は占い師の娘です。

占い師である父親に貰った秘本を読んで善六がそれを会得し、生涯に三つだけは占いが当たると言う力を身につけたことにして、善六の得意な算盤を使った算盤占いで徳利のありかを言い当てれば喜んでもらえると言うことになり、早速善六はお店に引き返します。

旦那に事を分けて相談すると是非やってくれと大喜びです。

そうこうして、やがてお店で占いをたてるとピタリと当たって占いどおりに水がめから徳利がでてくる、善六さんはえらいことだと店中大喜びの大騒ぎで用意した宴会が再開されます。

この騒ぎを聞いていたのが、たまたまこの宿に特別に泊まっていた(こう言う大掃除の日でも部屋がとれる上客の常客)大阪の鴻池(有名な大金持ちの商家)の支配人(番頭)。

実は鴻池の令嬢が気鬱の病で困っており、江戸でどこかに良い八卦見がいないものかと探しに来たのだが、善六どんはえらいことですなあ是非大阪に連れ帰りたいと旦那にねじ込みます。

経費もお礼もすべて見るからと旦那と支配人に頼み込まれる善六ですが、今回は自分が隠したものを出しただけですが、大阪での易でボロでも出したら大変なことになる、と困り果て、一応家に持ち帰って女房に相談するとその場を立ち去ります。

ところが、お礼の金に目がくらんだ女房が適当な易でごまかすような知恵をつけます。

易とは本来そう言うものだというわけです。

仕方なく鴻池の支配人にお供をして旅立った善六。

一行が神奈川宿まできたところで鴻池の定宿、新羽屋が大騒ぎの最中です。

事情を聞くと前日泊まったさる藩の侍一行の密書入りの紙入れが紛失、宿の亭主に泥棒の嫌疑がかかり大変困っていると言うのです。

そこでこの家の主夫婦と相当懇意と見える鴻池の支配人が「善六さん、あんたの易は生涯に三度はピタリと当たると聞いているが・・。馬喰町で一回、大阪で一回、後の一回で是非この宿の主人と女将を助けて欲しい」と善六に懇願します。

困りつつも、しかたなく善六がひきうけると、宿ではいつの間にか上から下まで天下の鴻池さんの御指名の江戸の偉い八卦見の先生が今夜なくなった紙入れのありかを必ずピタリと当てるらしいと大評判になっています。

一方の善六の方はもはやここまでと夜逃げの準備を算段しています。。

その夜逃げの準備をしているまさにそのとき若い宿の女中が、「先生の易ではもう私が下手人とでておりますでしょうか?」と観念して現れました。

女中は病の親の看病すら許してくれない宿の主人らの態度に困り果てた挙句、つい出来心で紙入れを盗んだものの、それに手をつけるのも恐ろしくなって宿の裏のお稲荷さんのお堂に隠したと言います。

善六は女中を哀れんで助けてやることにして、犯人をお稲荷さんに仕立てて易を立てて見せるための話の材料を女中から聞き出します。

稲荷の祠が過年の嵐の際に荒れたままほったらかしになっていることなどを詳しく聞き出して話を組み立てると、宿の一同を呼び集めて、これは自分のことしか考えない宿の主にお稲荷さんがお怒りになって与えた災難であるとします。

嵐の一件などをピタリと言い当てる善六に恐れ入った一同に、本来なら嵐でつぶれるはずのこの家の身代わりとなって嵐の災厄を引き受けて荒れ果てたお稲荷さんのお堂を立て直して大事に祭り、また心を入れ替えて奉公人なども大事にせよと諭して、紙入れはお堂の中にあると告げます。

お告げの場所を探してみると善六の言ったとおりに紙入れが出てきて、その経緯を話すとお上の役人も神仏の行いであったのなら…と重いお咎めにはいたらず事を収めてくれました。

事が収まって宿の主人から貰った礼金の一部を女中に与えて、どんなことがあっても二度と人の財布などに手を出すなと諭して一行は旅立ちやがて大阪の鴻池にはいります。

神奈川宿での一件も支配人から聞いている鴻池では偉い先生だと期待が膨らむばかりです。

善六はそのプレッシャーから断食などをしてみたりしつつ、なんとかそれらしく格好を付けて振舞おうとしますが、なかなか江戸で女房に付けられた浅知恵などではもはやごまかせない雰囲気になっており、易を立てる期限にも迫ってきて絶体絶命のピンチよろしく煮詰まってゆきます。

そんな時、善六の前に神奈川宿で紙入れ泥棒の犯人にされた稲荷が現れます。

もはやこれまでとおそれいっていると、稲荷が「さにあらず、お前のお陰でお堂は建て替えられて今では立派なお堂ゆえに正一位の稲荷大明神となった」とお礼を言いお返しにと娘の病気のお払いの仕方を教えてくれます。

難波の宮の頃、聖徳太子、守屋の大臣(おとど)と仏法をあらそいしおり、当地は一面の湖であった、そこに打ち捨てられたあまたの仏宝のひとつである観音の金像が鴻池の屋敷の乾(いぬい)の隅の四十二本目の柱の下に埋もれている。

その観音像を掘り出してあがめれば、娘の病気はたちどころに治まり全快間違いなしと告げます。

ありがたそうなお告げに一同恐れ入って、職人を入れて言われた場所を掘り起こしてみると、善六の言葉通りに観音像が出てきたのでこれをまつりますと、娘の病は全快します。

これはえらいことです・・と鴻池一同にとって善六は大恩人。

こうして善六は鴻池に立派な宿屋を一軒あてがってもらい、しがない通いの番頭から算盤だけに桁違いに偉くなって鴻池ゆかりの大旅籠の亭主に納まるというおめでたい話です。

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高津の富

高津の富は上方落語のうちでもわざわざ枕で縁起がいいと紹介される話の一つで江戸落語では「宿屋の富」として演じられています。

題名にある高津とは相撲のタニマチ(力士のスポンサー)で有名な谷町筋の九丁目近くの高津神社、昔の大坂の千両富の勧進元です。

さて、淀屋橋の西詰めを南に入ったところを昔は大川町と言って、現在ではビル街となっているあたりに小さな宿屋さんがびっしりと立ち並んでいました。

日ごろは仲の良い宿屋同士も夕景時ともなると客の引き合い、宿の前を掃き清めて盛り塩の一つも立てていると、初老の客が飛び込んできて、宿賃は帰りにまとめて払いたいのだが泊めてくれるか・・と相談します。

こんな小さな宿屋でもどなた様に限らず宿賃はお帰りのときで結構でございますと宿の亭主が言うと、喜んで宿泊を決めた客、足はあまり汚れていないようでセキダ(雪駄-靴のように足をカバーが覆うので土ぼこりで足が汚れない)履き物なのですすぎ(昔は宿屋に入るとき必ずすすぎ水で脚を洗ってから土間から上がった)は(今後とも)いらないと、そのまま二階に通されます。

よほど空腹と見えて、夕食や晩酌をせかしつつも、夕飯の準備のあいだに宿屋の亭主を呼んで世間話を始めます。

自分は因州鳥取の大庄家でこの間も泥棒に八万八千両ほど盗まれたがまあ怪我人が出なかったから良かった良かったなどと大きな話をしています。

大阪には僅か二万両ほどの取引できたが、まあ商売の話だから場合によっては長逗留になるけど頼むからな、などと風体に似合わないような景気のよい話をしていますが宿屋の主はすっかり心酔しており、自分がサイドビジネスにやっている富札が一枚だけ残って困っているのだが、なんとか旦那さんのその勢いのおこぼれでお付き合いを…と頼みます。

富くじの値段は一分、つまり一両の四分の一、奉公人の約一ヶ月分の給料にも相当する額です。

「なんやたったの一分かいなそういえばお賽銭の残りが袂にあったかいなあ」と客が袂から一分金をだして富くじを買ってくれたうえに、もし当たったらお前さんに半分はあげるわ、などと調子のいい話をしていましたが、実はこの客にとってその一分は最後のお金、これでもうすっ空かんです。

「あないな大きな話するんやなかった」と反省しきりですが、まあこうなったら元手の金も消えたし、適当に食い倒して逃げるしかないと腹をくくって晩酌・食事を済ませて休みます。

さて次の日、金も行く当てもない客は商売に出かけると言っていた手前、ひとまず宿を出て、脚に任せて大阪の町をあっちをブラブラこっちをブラブラと暇つぶし。

そうこうしているうちにいつしか道頓堀をまっすぐ東に進んで谷町方面に上ってきたところで高津神社の近く。

落語ではこのスカンピンのおやっさんがやってくる前の高津神社で、にぎやかにくじ引きがおこなわれている情景の描写があって、随分おかしな連中の富くじにまつわる話が繰り広げられていたのですが、そうした騒ぎが収まって人影もなくなった高津神社に、せっかくここまで来たら富くじの結果でもみてかえろうかとスカンピンのおやっさんが立ち寄ります。

実はこの客がなけなしの一分で買った富くじは一番の千両富が当たっていたのですが、まさかと思っているのでなかなかそのことに気づかず何度も見比べています。

何度も何度も見比べているうちにようやく当たりと気づいてもうほとんど腰が抜けそうな状態です。

抜けかかった腰でやっとこさっとこ宿までたどり着きますが、もう興奮で普通では居られないので、その日の商談の不都合から具合が悪くなった風を装って宿の女将に部屋に人を近づけるなと言い放って部屋で布団に包まってしまいます。

そこに帰ってきたのが宿屋の主、こちらも当然富くじの結果を知っていて自分が半分もらえるものですから同じく大慌てでたいそう興奮して誰も通すなと言い渡された部屋にどかどかと入って行きました。

なんとかスカンピンの客を起こして富が当たったと言う報告をしますが、客はあいかわらず腰が抜けかかっているものですから「当たったら当たったでええやないかそっとしといてくれ」、とそっけなく布団から出ようとしません。

誰も通すなと申し渡したはずの部屋に宿屋の亭主がどかどかとはいってきたものですから客は機嫌も最悪で布団から顔だけ出してつらつらと文句を言っていると宿屋の亭主がよほど興奮していたと見えて下駄履きのままでそこに立っていることに気づきます。

「なんじゃそのざまは、千両やそこらの僅かの金が欲しさに人の寝てる枕元に下駄履きで入ってきさらしやがって・・。部屋ん中でぇ下駄なんぞはいたまま・・・、小さな子供でも、そんなはずかしいざまはさらさんわいな。ええ大人が、みっともないにもほどがるわ・・」

「そら、えらいすんまへんっこって」一応は詫びつつも宿屋の主の方は500両がもらえる嬉しさにもはや完全に舞い上がっていてそんな苦情もどこ吹く風です。

「旦(旦那)さん、今から祝い酒だす。寝ててもろうてはどんならん。どうか起きとくんなされや」と布団をはぎとると旦さんセキダ(雪駄)履いたまま寝てました。

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