投資とギャンブル、投資はギャンブルではない、常勝投資ツール、普遍的な投資手法、相場のロマン
「投資と博打は違う」と言うのは良く耳にする言葉ですが、実際には投資をギャンブル的に捉えている投資家も多く、バイナリーオプションなどの一部の金融商品では、ギャンプル的な要素を勧誘の材料に使っていたりします。
どこが違うのか?その違いを明確に理解するにはどうすればよいのかと言うと、それらには共通した要素も多く、境目があいまいな部分も多いので、その答えは投資と言うものを良く知るしかないと言う事になります。
相場投資とギャンブルの共通点は多いのですが、実はそれを言えば普通の企業経営とギャンブルの共通点と同等であるとも言えるのです。
その違いは情報分析の有効性や、経験則活用の有効性がギャブルより高いと言ったことになるのですが、相場を良く知るしかないと言う意味は、先の項で触れた、「負けない手段」を身に付けられる可能性に尽きると思います。
商売でも株式投資でもイチかバチかの場面はありますが、ギャンブルと違って研鑽によって判断材料の質が高まり、理解が深まることで、メンタル面も含めてリスク回避の方法を身に付けられると言う事です。
そのように言えば「パチンコで勝つ方が相場で勝より確実だ」と言う判断もあるでしょうが、相場で負けないために講じることのできる手段が合法的なものであるのに対して、パチンコのそれは反則行為である点が大きく違っています。
その意味で投資を博打的に捉える行為は、正しい投資法から逃避する行為だと言うことが出来ると思います。
運よく乗りやすい相場に乗って、灘株太郎さんが連勝しているときに、師匠はその手法はもう限界だから辞めるように言いますが、株太郎さんはその勝ちの感触をそのまま継続したいとの思いから、「勝ち癖を付けたい」から継続したいと主張するのですが、師匠はその「勝ち癖」と言うセリフに対して「博打ではない」と制しています。
更に、灘株太郎さんがビギナー投資家に共通するようなギャンブル的な発想で相場を語ると師匠はきっぱりと「全然違う」と否定しています。
負けないためにやるべき手法がいくつもある株式投資にイチかバチかの勝負の要素を持ち込むことは無意味なことだと言っているわけです。
良く「常勝」と言う情報商材のキャッチフレーズを見かけます。
相場がギャンブルではないのであれば「常勝」もあり得るように思えますが、一定の相場経験をつめばその言葉が矛盾したものであることが理解できます。
わかり易いたとえ話にすれば、もし「負けなしの手法」なるものを本当に見つけたとしても、本物の投資家ならそれを広告費を投じて売りものにして商売するより、その手法を活用して相場で稼ぐ方がはるかに有利であると言う事が理解できるはずです。
単純な例ですが、負けなしで勝てるのであれば…、
100万円の初期資金に対して一ヶ月で平均20万円儲かると仮定した場合、その資金にも儲けにも一切手を付けず、それらの資金を次の投資の元手にして増やしてゆく方法を実行すれば、二ヵ月目に手にしている資金は144万円になり、その翌月は172万8千円、更にその翌月は207万3千6百円と増えてゆき、一年後には100万円の元手が約9百万円となる計算になります。
これが二年後には約8千万円になり、三年後には7億年になります。投資において「負けなしの常勝」とはそういう事なのです。
情報商材の販売利益を上記同様の個人的な単純計算で考えてみると、数百万円の広告宣伝費(たぶん500万円以上を投下)で思惑通り売れれば一年後に1億~2億円の粗利が期待でき、思ったように売れなければ数千万円の粗利と言ったところで、予想値では一億円前後と想像できます。
このことからも本当に「負けなしの常勝」手法があるのなら、どう考えてもその手法を誰にも教えずに自分で直接運用する方が3年のスパンで見れば儲かるのです。
言うまでもなく先の計算式に元手500万円を代入すれば1年後に約4千5百万円、2年後には4億円、3年後には35億円を超えます。
またそのようにして、自分で利殖する場合、一年二年後に投資できる巨額の資金を考えると「マーケットインパクトの影響を受けるからそううまくはいかない」と言う考えもあるでしょうが、これも数十人、数百人の常勝投資クラブの会員が同じシグナルでトレードを行うマーケットインパクトの影響と比べれてみれば、不利とは思えません。
投資には普通の商行為と同様に、必ず儲かる方法などないのです。
「師匠の思い出」には次のようなやりとりがあります。
「師匠、どうして相場がわかるの?」
「わからないよ。わかったら苦労しない」
「でも、勝ってるよ」
「負けないようにやってるから」
このセミナーでも取り上げている、奇人的大物投資家である「柴田秋豊」はその人生を賭して普遍的な投資手法を追求しますが、灘株太郎さんの師匠はあっさりとそんなものはないと否定しています。
柴田秋豊の時代の相場の理解と師匠の時代の相場の理解では、この合理性が違うのかも知れません。
これは「科学的手法」を謳っていた柴田の時代の柴田が考えた合理性と現代の合理性のニュアンスの違いとも言えます。
師匠にとっての相場は普遍的な利益獲得の手法を追求する場所でも、イチかバチかの勝負をする場所でもなくて、負けないための努力をする世界なのです。
灘株太郎さんは師匠のトレードが次々と当たるのを目の当たりにして師匠クラスの投資家ともなると何か特別な情報、一般人の知りえないような情報を知っていて、その情報を元に判断しているのだろうと感じて、その秘密を教えてほしいと頼み込みます。
しかし、師匠の答えは曖昧なため、納得できない株太郎さんはやや食い下がります。
この辺りの何かあると言う株太郎さんの思い込みは多くの投資家が持つ、相場のロマンへの期待のようなものではないかと思います。
それはいわゆる「誰も知らない特別な手法」「秘密の儲かる秘密」があるはずだから自分にだけそれを教えてもらいたいと言った、誰もが抱くスケベ心のようなものでしょう。
それに対する師匠の答えは以下のようなやり取りで語られています。
「あのね、そんなこと、分かるはずないだろ!」
って強い口調で言われたんだよ。
「分からないっていってもプロじゃないですか」
「相場の行方が分かったら、俺はいま、こんなことしてないよ」
「でも、それが分からなくてよく証券会社が務まりますね」
「バーカ!証券だって仕手屋だって、分かる奴なんかいないんだよ」
「そんなもん?」
「あー…、そんなもんだよ」
相場に裏付けのないロマンや博打的な期待感を持っている限り、師匠の言う正しい投資法、「負けない手法」は身につかないと言う事でしょう。
人間はどうしてもロマンのある方に魅せられる傾向があるようです。
元プロのトレーダーで私にNT倍率の「裁定的」と言う部分の投資法の伝授を求める人が居るのですが、疑似的裁定のNT倍率を使ったロジックでもその人の期待するような安定的な利益など保証されません。
しかし、不思議なことに投資知識があるにもかかわらず、そうした説明に対して「それでも何かあるに違いない」と言う思いこみがなかなか捨てられないようにも見えます。
「相場のロマンに対する思いこみは、時折客観性や冷静さの邪魔をすることがある」ものであり合理的な投資法を身に付けるには、そうしたものにすがろうとするメンタルの弱さも克服する必要があります。
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