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世界最初の公設先物取引所

コメ将軍 吉宗、コメ市場、堂島米会所

コメ将軍 吉宗

幕府は米価の変動に長く腐心していましたが、米価の安定策として大坂堂島のコメ市場の果たす公共性に目をつけたのが有名な大岡越前守です。

その大岡の進言を受けたのが八代将軍・徳川吉宗で、大阪のコメ相場は1730年、吉宗によって幕府公認のコメの取引所として整備されたことによって、世界最初の本格的な「公設の先物取引所」となりました。

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コメ市場

江戸時代、税(年貢)はコメで納められ、武士の給与も原則としてコメで支給されていたため、当時コメは通貨に準ずる役割を果たしており、その為にコメ市場のあった大阪は経済の中心になっていました。

しかし、その経済の基軸たるコメの収穫は天候に大きく左右されるため、当時の社会は豊作・不作による右往左往を頻繁に繰り返していました。

つまり、時の施政者は代々、米価の調整に頭を悩ませていたのです。

豊作になれば、(年貢納めの時期に)コメがあふれて価格が下がるし、凶作になればなったで今度はコメが不足して餓死者が増え価格が高騰します。

このような変動によるコメの価値の上下が領民を苦しめ、米価にあわせて給料をもらっていた武士の生活を不安定なものにしていました。

こうした事情から、豊作・凶作にかかわらず安定した米の「価値」を保証するようなメカニズムが長く望まれていました。

江戸時代には、全国のコメが大阪に集められ、諸藩の蔵屋敷(大阪の堂島に軒を連ねていました)にコメが納めらたのち米切手(証明書)が発行され、すでに切手によるコメ取引が行われていました。

ここでは、たとえ国許で飢饉のために米が高騰していても相場で決まったレートでコメを手に入れることが出来ましたし、また一方、コメが豊作となった藩は、(大坂では相場が常に立っており)余剰米については値の上がるのを待って市場に出すこともできたため、それを巧みに行うことで価格の下落に対抗して利益を上げることも出来ました。

さらには、現物のコメの価格に加え、将来入荷するコメの見通し(先物)をみて、商人たちが形成する相場価格により米価の極端な変動が調整されてコメの価値の安定に寄与していました。

このしくみによって、商人は米価の上がり下がりの予想し、予想がうまく行けば、大きな利益を生み出すことが出来る「相場」を作り、またこの米相場は当時の経済発展にも貢献していました。

こうした背景から、八代将軍徳川吉宗は米価の自然変動対策として、享保十五年(1730)、堂島(現・大阪市北区)に帳合米市場(米の先物取引)の開設を命じました。

幕府による堂島の帳合米市場は、もともと吉宗の意を受けて米価安定策に四苦八苦しつつ取り組んでいた大岡越前守が、公儀による米価操作の有効なメカニズムとして、大阪の米相場に目をつけて作り上げた市場です。

この堂島の市場は不正などが行われないように合理的な制度・ルールによって構築された本格的な先物市場であり、幕府の厳重な監視のもとで取引が執り行われた世界初の公設の先物市場であって、そこでは当事すでに、現在シカゴ市場を始めとして世界中で行われている「先物取引システム」の骨格が網羅されていました。

のちに吉宗はこの堂島市場の公営化と整備と言う業績によって「米将軍」と呼ばれたのです。

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堂島米会所

豊臣時代から続く大阪の「コメ市場」の長い歴史を受け継ぐこの世界初の公設先物取引所は大阪堂島に置かれたことから「堂島米会所」と呼ばれ、「コメの証券取引」と「コメの先物取引」を同時に行なっていました。

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