古代ギリシャのオプション取引、世界最古の淀屋米相場
現代の金融派生商品に通じるビジネスの発想自体はかなり古い時代からあったとされています。
古代ギリシャでタレースと言う人物(古代ギリシャ哲学の祖と言われています)が行ったオリーブの絞り機のレンタルビジネスは、人類最初のオプション取引とされる有名なエピソードで、これはNHKの金融商品を扱った特集番組などでも紹介されていました。
当事の天体観測データをもとにオリーブの豊作・不作を統計予想し、次の年が豊作とみると前もってオリーブの絞り機を借りる権利を独占的に契約しておくと言うのが彼の方法でした。
翌年、予想通りオリーブが豊作となると、搾り機の需要も増えて使用料も上がり、そうなると、タレースはオリーブの絞り機をあらかじめ契約した料金で借ることで、需要に見合った高い料金で人々に貸し出すことができ、それによって、大きな利益を手に入れることが出来たと言われています。
このオリーブ絞り機のエピソードは、古代世界においてすでにデリバティブ取引の考え方が存在したことを示す伝承とされています。
世界最古の商品取引所は1531年設立のベルギーのアントワープ取引所ですが、日本でもすでに少なくとも西暦1600年以前の、豊臣秀吉が築いた都市・大阪に本格的な「コメ」の取引所が存在していたとされています。
この大阪コメ市場のルーツとされる淀屋のコメ取引はタレースのオプション取引同様にもっとも古い先物取引の伝承として海外でも知られています。
伝承では1600年頃にはすでに私設ながら「米の先物取引所」がおかれていたとされています。
場所は当時の豪商・淀屋の中之島の屋敷内であったと言われていますが、淀屋は後にその贅沢が御上の目に余ったことで、5代目でお取り潰しになっており、そのため詳細は残念ながら資料不足で不明であり、伝承にとどまっています。
また別の資料では大阪夏の陣(1615年)の後に大阪復興を家康に任された淀屋常安が米価安定のために「先物取引」を考え出したとされていて、私設取引所とは言え淀屋の財力やビジネスを考えるとかなりの規模のグローバルなものであったと思われます。
いずれにしても世界最初の先物取引の発祥は1600年前後の大阪の淀屋に由来があるようです。
そののち、江戸時代になると大阪のコメ相場が徐々に当時の日本経済の重要な位置づけとなって行く様が各種の資料からもみてとれるようです。
江戸時代、侍の報酬はコメで支払われるなど、コメには貨幣の代替としての役割があったことから、コメの取引所には一種の金融市場としての役割もありました。
このようにコメの取引が金融市場として重要な役割を果たしたことから、大阪・堂島の「コメ」の先物市場は、その当時の日本経済への影響力に多大なものがあったわけです。
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