酒田五法の発祥のミステリー「派生形の不思議」
バリエーション体系の不都合。
一般的な解説では「酒田五法」の「三山」は「トリプルトップ」型の三つのピークを描くチャートパターンであるとされています。
つまり数十本程度の罫線で形成されるチャートパターンです。
しかし「赤三山」と言う陽線三本が天井圏で出現すると言うパターンがあるのですが、こちらは「三山」=三つの山(三つのピーク)と言う意味ではなく、天井で現れる三本の陽線と言う意味になっています。
「赤三山」と「トリプルトップ」は全く異なるものですが、この点には酒田五法が語呂合わせ的に「三山」と言う言葉に拘った形跡が伺えます。
このことは酒田罫線が成立した時点で、日本罫線法とは別系統の「トリプルトップ」のような見方をする、アメリカ式の罫線法の知識があったのか、もしくは成立時に採用されていたかもしれない「赤三山」があまり重要なシグナルではないために、その後アメリカ式のチャートフォーメーションでより説得力のある成績を残しそうなものに置き換えたと考えられます。
「トリプルトップ」をそれらしく「三尊」と呼ぶことで「トリプルトップ」と言う分析がもともと日本にあったと言う印象を形成しているようにも思えます。
でなければ「酒田罫線」の解説本ではまず見かけない「赤三山」の足形を米相場で多大な利益を上げた伝説の相場師・本間宗久が重要なものとしていた可能性があると言う事になります。
「三川」おける「黒三川」と「逆三尊」「トリプルボトム」の関係も「三山」と同様の事情が考えられますが、「黒三川」の実用性などを考えると、実はローソク足罫線法と言う枠からはみ出した「三山」「三川」に整合性を持たせるために「黒三川」はあとから傍流の作成者が無理やり適用しようとして作ったものの、失策としてその意図を断念したため、あまり意味を持たない足形としての「赤三山」「黒三川」のような足形がごく一部の罫線本に残ったと言う可能性も考えられます。
「三川」については逆三尊・トリプルボトム系のパターンをこれに充てる酒田五法とは別系統の足形パターンとして「三川明星」と言う流派があります。
この場合の「川」は三山の「山(天井圏)」に対応するもの(底値圏)ではなく、罫線が川の字に並んで現れると言った意味で使われる「川」だと思われます。
「三川明けの明星」は、長めの陰線が出た後、下方に窓を開けて十字線、または短線が出現し、三本目に上放れた陽線で一本目の陰線実体の上半分あたりで引けた形で、底からの反転暗示とされるものです。
また「三川宵の明星」は、長めの陽線が出た後、上方に窓を開けて十字線、または短線が出現し、三本目に下放れた陰線で一本目の陽線実体の上半分あたりで引けた形で、こちらは天井からの相場反転暗示とされるものです。
「三川明星」は天井・底からの反転の暗示なので、この系統の「三川」を酒田五法の「三川」に採用すると天井圏のパターンとしての「三山」の定義が不明瞭なものになるため、酒田五法とは別系統の独立した存在と捉えられているようで、ここにも「酒田五法」の体系としての苦しさがあります。
「三平」は「三兵」と同義と考えられているようですが、色々なローソク罫線の解説書を比較して見ると、これらが同じものと言い切れないような印象を持ちます。
※「三兵」と「三平」の文字の使い分けについては酒田五法「三平」の項を参照してください。
実際「三兵」と名のつくオリジナルに近い足形は単純に「売り線」か「買い線」のシグナルであって当然それは主に天井圏や底値圏での転換線として紹介されているものであり、トレンド継続判断(保ち合い脱出判断?)と言った意味合いがあったとは思えません。
こうした「三兵」(多分酒田五法としての三平が定義される以前からあったらしい)系の足形が天底反転暗示やトレンド反転暗示を持っていて、ここにも後代に五法の語呂合わせのために「三平」と言う考えがあった可能性が見え隠れします。
本来は「トレンド継続」を見抜くための「平」と言うパターン分析があってそれが「三兵」と混乱して曖昧な定義になったのか、あるいは「三兵」のパターンが先にあったものの、酒田五法の一法に加えるためには、それが相場の状態を表すものの方が相応しいと言う考えから「天井(三山)」「大底(三川)」「保ち合い(三法)」に対する継続パターンとしての「三平」が出来たと思われますが、酒田罫線法本来の反転シグナルと言う性格から見ると「トレンド継続」や「保ち合い」の判定と言う分類定義には酒田罫線の目的からは無理も感じられます。
「三空」は「酒田五法」の「空」つまり「マド」あるいは「放れ」についての心得であるとされています。
しかしその割りには「三空」で取り上げられているのは酒田罫線形の中に数ある「マド」や「放れ」と言う現象に対する足形一般の心得ではなくて、それらのうちの「三空踏み上げ」と「三空叩き込み」と言う、たった二つのしかも相場でさほど発生するとも思えないかなりレアなケースについての狭小な心得です。
つまり「空」は五法の中で一つの分類項目を成立させるまでには至っていないのです。
つまり「三山」「三川」「三法」の分類に「三空」が加わった時点で系統立てた分類法と言う点で各項目の定義の一貫性が崩れると言うマズイことになっているのです。
これでは大型車・中型車・小型車と言う分類にオートマ車と言う項目を加えているようなもので、分類が重複することでそれぞれの分類に属する足形を一種類だけにとどめるしかなくなっているわけです。
つまり「酒田五法」が罫線の見立て方を五つの項目に分類すると言う点には破綻があるように感じられます。
もしこれが五系統(三系統でも二系統でもよいのですが)にきちんと定義できる分類法で仕分けされた、酒田罫線(数十種類~百数十種類)の足形指南書であればその解釈のミステリーはもう少し大目に見られたかもしれません。
そう言う意味でも分類上不規則なバリエーションの多い「三平」と並んで、五つの大分類に含めるのはどうかと思えるこの「三空」は「酒田五法」の疑問点を象徴しているようにも思えます。
「酒田五法」のネーミングや内容を見る限り、その成立は一般の投資家が広く相場に参加できるようになった時代であるように思えます。
「酒田五法」は「テクニカル分析」と同じく一般投資家にわかり易い理屈を見せることで、「相場で儲けてみよう」と言う意欲を誘っているようで、実際には相場経験の裏付けを要する日本式罫線活用法をつまみ食い的に体系立てているような印象があり、江戸時代や明治・大正時代にこうしたものへのニーズは限られていたのではないかと言う気がします。
「酒田五法」の曖昧さや混沌さは限られたニーズには向かず、もっと広い層をターゲットにしているように思えるのです。
また、そのネーミングセンスなどの匂いからは昭和期、たぶん太平洋戦争後に成立したと考えるのがもっとも理にかなっているように思えてなりません。
そもそもローソク足と言うものがその有効性を発揮できる相場環境自体が出来上がったのが戦後からだと思われるのです。
ローソク足が江戸時代からあったと言う話を否定するつもりはありませんが、いろいろな傍証から昭和中期以前の相場で重要だった罫線法は鉤足であったと思われます。
つまりローソク足があったとしてもその真価が発揮できるような相場の仕組みが明治・大正時代、ましてや江戸時代にあったと言うのは簡単には信用できない話のように思えます。
江戸時代の相場にザラバの記録があったと言う証拠がありません。
相場自体が奉行所や幕府の管理しない休みとされる日や、大引け後の夕場・夜場など、取引者の都合で立っていたようで、こうした勝手な相場は奉行所は公認していたようですが、これらの相場のうち幕府が記録を取っていたのは大引けの価格だけだったと思われます。
立会で直接堂島の相場に参加している人はともかく、地方の相場などは、成立する価格の根拠として大阪の相場に価格を連動させるために飛脚や旗振り通信などを使っていたと言いますが、その対象となる価格は幕府公認の終値であったと思われ、こうした終値の米価通信によって堂島相場に投資していた近江などの商人の存在例で顕著ですが「四本値」と言うものがそのような江戸時代になじまない気がします。
酒田罫線では日足が基本ですが、戦前までの相場は日足より、終値に重きを置いた鉤足などの非時系列の罫線法が主流だったようです。
江戸時代に罫線法があったとしても、それはたぶん日々の終値を結んだ罫線であったものであった可能性が高いと思います。
酒田罫線法も、もしそれが江戸時代からあったとすれば「酒田新値」のような終値の動きを分析するようなものであったと思います。
つまり酒田五法は比較的新しい時代にその時代の投資環境の要請によってできたものではないかと言うのが、その成立の原点に関する印象です。
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